注目の技術・製品
藤井米穀店

「河内素麺」づくりの技と心を受け継ぐ、枚方でただ1軒の挑戦  藤井米穀店

今回の『注目の技術・製品』は枚方で江戸時代から続いている「河内素麺」づくりを受け継いでいる、藤井米穀店をクローズアップいたします。

「変えない」ことが、新しい価値を生む。

枚方で江戸時代から続いている「河内素麺」づくりが絶えようとした中で、津田の米穀店五代目店主、藤井繁雄さんが22年前に受け継ぎました。その日の気温や湿度に合わせて、職人の勘を頼りに塩加減を調整し、自然の中で生きている生地と対話を繰り返しながら仕上げていくのが、河内素麺です。

ロボット・AI等の先進技術を取り入れた現代の製造業とは真逆の手間暇かけた技法で、頑なに昔ながらの素麺づくりを行っています。津田の地で磨かれた細く白き輝きは「瑞穂の糸」と冠せられ、ものづくりの心を宿して現代に語りかけているかのようです。そして、枚方でただ1軒だけの河内素麺づくりは、次世代へのバトンタッチという大きな課題とも直面しています。

一度途絶えたら二度と蘇らない。だからこそ伝統の技法を守りたい。

「コンチキチン♪」と、祇園祭のお囃子の音が聞こえてくる7月になると、京都の料亭では「祇園祭になかったらあかんのは、鱧と河内素麺や」と言われていたそうです。しかし、残念なことに、今は京都の料亭に卸していた河内素麺の製造所がなくなり、つながりが途切れてしまい、京都の夏の風物詩としての役割も風化してしまいました。

現在では、河内素麺を製造しているのは、ただ一軒だけとなっています。津田で明治時代から続く藤井米穀店の五代目店主、藤井繁雄さんが継承されています。河内素麺づくりの地域で生まれ育った藤井さんが、本業ではない素麺づくりの「後継者への危機」を感じて、“2人の師匠”に習い始めたのがきっかけでした。

河内素麺の起源は定かではありませんが、17世紀後半に大和国三輪から持ち帰った寒中素麺製造法が津田一帯の農家に伝わったのが始めとされ、18世紀後半に津田村の山下政右衛門氏を中心として素麺業が広められていったそうです。

河内素麺は「河内の糸」とも評されて、麺は白くて細くコシがあり上級品として近畿一円で重宝されていました。明治から大正にかけては100軒を超える製造所があり、主に農家での副業として作られ、枚方を代表する産業として栄えていました。

その後、幾度かの危機を乗り越えてきた枚方の素麺業ですが、第二次世界大戦での小麦粉不足や人手不足などにより、大規模な製造所から廃業を迎え、兼業農家が生き残ってきました。

素麺づくりで大切なのは、 その日の気温、湿度、天候を五感で感じること。

素麺づくりのシーズンは、11月から翌年3月ぐらいまで。お天気次第で、3分の1は雨で製造できません。原料投入から箱詰めまでは2日工程で行いますが、それをワンシーズンで50回くらい繰り返します。原料は、小麦粉と水と塩です。あとは、麺が乾かないように、表面にコーティングするための綿実油です。

では、1日目を覗いてみましょう。

朝4時半くらいから始めます。朝の気温と湿度に合わせて塩加減を微妙に変えていきます。この配合を間違えると、麺は延びなかったりします。

こねた生地はビール瓶くらいの太い麺にして、いくつもの種類の違う器械に通して、ひたすら延ばして、延ばして細くしていきます。小指くらいの太さになったのをさらに狭くしたローラーに通します。そこから出てきた麺を2本の細い金属棒に掛けるように巻きつけていきます。そこで、試し引きをする小引作業が入ります。試し引きをしておかないと、翌日、麺が伸びなくなるのです。

ここまで、数工程をかけてきましたが、1工程が終わる毎に2時間くらい麺を寝かします。それをしないと、麺が熟成されず延びていかないからです。寒い日は2時間半とか、暖かい日は2時間弱といった具合です。毎日、その感覚が違います。麺と対話しながら勘を働かせるしかありません。「習うより慣れろ」と、師匠から教えられました。

そして、1日目の最後に長持のような木の箱(「風呂」と呼ぶことも)に入れて、麺を一晩寝かして熟成させます。

麺と対話しながら、切れないよう手加減して延ばします。

さて、2日目です。一晩熟成させたあと、麺を長く延ばして細くしていきます。この作業には手加減が必要です。麺の状態は毎回違うので、器械で一本調子に延ばせば、簡単に切れてしまうことがあります。職人の手でやれば、「切れそう」と思ったら手加減して延ばせます。麺はまちがいなく生きています。常に生地の状態を見て、対話しながらやらないとだめなんです。

そして、最後の段階の「門干し(かどぼし)」作業。いわゆる野外で乾燥させる「天日干し」のことです。ここでは器械乾燥は一切せず、100%天日干しで乾かすので、5、6時間はかかります。

天日干しが始まると、徐々に麺は乾きながら縮んでいきます。放っておくと千切れるので、麺の張り具合を確認しながら少しずつ器械を低くして緩めていきます。この作業には誰かが付きっきりになります。

素麺づくりには、1日目と2日目では真逆のことが要求されます。1日目は乾燥させないようにして延ばしていきます。逆に、2日目は早く乾かさないといけません。自然の天候が頼りの素麺づくりのむずかしさはそこにあります。

時代に逆らった素麺づくりを、次世代につなげていくために。

昔から伝わる技法どおりに素麺づくりを行うことが、こだわりです。効率化を図り、機械化し過ぎて素麺を作れば、河内素麺じゃなくなってしまいます。それだけに河内素麺づくりには、ものづくりの心が宿っているのではないでしょうか。自然と対話しながら人間の感覚がものをいう手仕事なので、難しいところはありますが、伝統をひっくるめて昔のまま受け継ぐことの大切さが感じられます。それをまた次世代に伝えていかなければなりません。

藤井さんは後継者づくりのむずかしさを語っていただきました。

「誰かが継いでくれたら、ベスト。誰かにバトンタッチしていかなければ、僕が継いだ意味がなくなります。でも現状では、素麺づくりだけでは生活を支えられないのが、課題です。専業ではむずかしい。何か別の仕事を持ってないと」。

「志して来てくれるのはいいのですが、商品が売れなかったら、どうしようもない。後継者になる人には、作った素麺が売れるルートが必要です。売れる安心感がないとむずかしい。販路を広げるためには、宣伝というか、伝えていく必要があります」。

また、手作業が多い河内素麺づくりの作業には、最低でも2人必要です。1人で後継志望をしても、実作業ができないので注意してくださいとのことです。かつては、枚方の産業を支えていた河内素麺づくり。後継者づくりのためにも、河内素麺の魅力を枚方の人たちにも知ってもらえるよう、もっと分かりやすく「伝える」ことは必要かもしれません。

手塩にかけて作った麺はどこにも負けないくらい、美味しい素麺です。この枚方の地で受け継がれてきた貴重な素麺づくりを継承するために、より多くの人に関心を持ってもらうことが望まれます。

お問い合わせ先

■藤井米穀店
〒573-0126 大阪府枚方市津田西町2丁目27−6
TEL:072-858-1031

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